新宿TOHOのIMAXシアターでチャッピーを見てきた
日本初のIMAXを新宿に導入!https://www.tohotheater.jp/news/imax_thc.html
とりあえず、ハイクオリティな映画が楽しめますよということみたいで、IMAXのシアターを拝んできた。
とても驚いたのはスクリーンのでかさ、床から天井まで伸びてばかでかい。それでいて見るのにストレスはなかった。
音響についてもサラウンドがなんチャンネルつこうがもうよくわかんねえなこれ。
TCXよりすごかった感じはあった。(正直すごかったけど、それを表現する知識はない、これがほんとに小並感)
以下、チャッピーの映画の感想を。
本作は第9地区のニール・ブロムカンプ監督の最新作としてテレビとかクチコミがバンバン流れていまして、自分も地上波で第9地区見たときに取り扱う視点が面白い作品を作るなぁと興味を持っておりました。
前作エリジウムは(そもそも作ってたの知らなくて)見ていないため存じてないが、第9地区では地球外生命体の漂流民を取り扱っていて、チャッピーでは意識を持ったロボットがモチーフとして取り扱われている。
映画のテーマには意識についてどう考えるのかを提示しているのかと思う。この作品はCMや物語序盤で意識を与えたロボットがどう成長遂げるかという部分に興味を持たせるが、最終的にそこがテーマではないことに気づかされる。
もちろん意識をどう実装したかなんて説明はない。人と同等のものの意識の拠り所がロボットと人間どう違うのか。観客が最後持ち帰るものはそこの疑問点だろう。自分はそこじゃないかと思った。
物語の途中で意識を実装したロボットのチャッピーは、自分の意識のデータ解析に成功し、それを外出しすることができるようになった。
チャッピーの想像主であるディオンも、負傷し手当てできない状態からチャッピーにより意識をロボットに転送され、生き永らえる(もちろん生物としては死んでいるので適切な表現かどうかはこの際考えない)。
ラストシーンでは、警備ロボットに殺されたチャッピーのママ的存在のヨーランディを意識をロボットに宿し生き返らせるため、ロボットの工場をハッキングし、ヨーランディのロボットを作り上げた場面で終わる。
第9地区ではクライマックスで主人公がエイリアンの姿に変わってしまい、人間として生きるのをやめることになるのと(明確には描かれてないので自分の主観だが)、本作の人間からロボットの姿に変わるところには何かしら共通する監督のテーマもあるのだろう。
例えばヨーランディがロボットとして復活したとして、本人はそれを望むのか。どういったリアクションを返し、チャッピーはどう受けとるか。意識、さらにはその拠り所がテーマにあると思ったのはそういうあとの想像が膨らむからである。
意識の拠り所がどうかにというところは、人の生き死にについても考えることができる。肉体が滅んで意識がデータとして実装され、人が意識のみをアイデンティティに生きるということはそれは生きていることになるのか。疑問はつきないだろうし、こたえはそれぞれに委ねられる。
自分も同種の疑問はつきない。意識が脳のネットワーク上の電気信号のやりとりを持ってそれを成すならチャッピーのように機械デバイスへコピーもできなくないとも思う。
話はそれるが、チャッピーのように人の意識が何らかのデバイスへコピーできたとして、デバイスがコピーされた意識により自律的に駆動したとして、自分が二人になったと考えられるか、そいつを見ている自分はここにいて、そこにも自分がいる。奇妙な感じである。
また、自分がコピーされたとき、マスターデータである私自身が死んだとして、コピーによって生き永らえるように見えるのは私以外の他人にとってであって、コピーに今自分がこの世界を見ているこの感覚がそっくり機械からの視点に切り替わるのか。そうでなければ、他者の視点からでしか自分が生き永らえているようとらえることはできず、やはり今この世界を臨んでいる私はやっぱり意識は途絶え死ぬのと変わらないのかなと。憶測でしかなく今のテクノロジーでは検証できないので答えは神のみぞ知る。
さて次はラブライブかな。
BGM:サヨナラ・ヘヴン-猫叉Master